2014年11月号 Vol.05

日本橋 街大學 ニホンバシーモ・ビジネス楽部

Lesson.5 便箋
思いまで伝える和紙の風味
1.孔雀紙(青ふちレターセット)
平らな紙にミツマタの繊維を散らした2層構造。筆やボールペン向き
2.奉書紙(紅ふちレターセット)
にじみ止めを施しているので、ペンや万年筆などでも書きやすい
3.封筒
ふっくらとやわらかい手折りの封筒
4.ふち
職人が一枚ずつ丁寧に木版手摺りにて仕上げる

ニホンバシーモ・ビジネス楽部の第5回講義は、
株式会社榛原の星野昌弘支配人に、日本橋 街大學講師の堀紋子さんがお話を伺います。
商いとしてだけではなく、和紙を通し、
かけがえのない日本文化の継承を担われている責任感や熱い想いが、皆さんにもきっと伝わるはずです。

※フリーペーパーではダイジェスト版ですが、ここでは対談の全容をご紹介します。

時代とともに形を変えて、守り続けられた和紙

(聞き手)
榛原さんは、「雁皮紙(がんぴし)」を売り出したのがお店の始まりで、便箋発祥のお店としても知られていますね。
星野 文化文政期に江戸の庶民に「雁皮紙」を売り出したようです。徳川家康は関ヶ原の戦いの10年前に一面葦原だった江戸にやってきて、計画的に都市をつくりはじめました。そして、人々の衣食住をまかなうために同じ商売の店を集めて呉服屋の町や薬屋の町などができて、紙屋の町もできました。うちは順番としては中くらいに参入したようです。紙屋に限らず日本橋には古い暖簾の店がたくさん残っていますよね。
本当にそう思います。だからこそ日本橋が再び見直され、紡がれてきた文化を大切に継承しながら、今また時代にあった街に変えていこうとしているわけですね。
星野 古い物というのはかけがえがないもので、別のもので代用することはできません。それが、この街の大変ありがたいところであり、守っていくのが我々の宿命でもあるのだと思います。
株式会社榛原 総支配人 星野 昌弘さん
榛原さんが、明治時代から変わらず守り続けてきた、こだわりや受けつがれてこられた信念はどういうものなんでしょう。
星野 守っているということでいえば、色を付けた色紙、模様を付けた模様紙、あるいは千代紙、さらにヒット商品の便箋、封筒など、今もみな木版で刷っていることですね。
一つひとつ手で刷られているということなんですか。
星野 そうですね。色目の数だけ木の板で刷っていきます。こうした熨斗(のし)も古くからあるのですが、こうした発想は日本だけではないでしょうか。堀さんがお詳しい北欧にはありませんでしょう。
ございませんね。ただ、北欧では手間暇をかけたものづくりに対して理解のある方が、多いように感じます。
和紙を通して作り手の思いが買い手に伝わる
榛原さんが日本で初めて海外に和紙を輸出されて、海外から洋紙を輸入されたのは文明開化の時代ですから、便箋やレターセットも、バックグラウンドはそういう外国の文化を学んだことにあるんでしょうか。
星野 それはあると思います。居留地である今の築地に外国の方が暮らしておられ、その隣の銀座もハイカラな街で、さらにその隣に京橋、日本橋があるわけです。当然、外国のそういう文物にも触れる機会があったでしょう。元々は巻紙が中心でしたが、郵便の創業を機に便箋と封筒をつくるようになり、今日まで続いています。
そこに、歴史ある日本の和紙をお使いになられていて、手づくりの文化がすごく継承されています。これを拝見すると、やはり江戸の粋と、当時のハイカラを今に伝えてくださっているんだなと思います。
星野 今日まで和紙が生き延びているというのは、国内外の多くの方が、それだけ愛でてくださる方々がいるということなんでしょうね。
本当に素晴らしくて、これからも大事にしていかなければいけないと今回つくづく思いました。
星野 和紙自体、作るのに大変手間がかかるんですが、その風味や名残というようなものをできるだけ残すよう、私どもも歴代のオーナーも、心掛けて作ってきました。
書くということに関しては、どの紙を使ってもできますが、そこに込められている思いとか、その時の一筆一筆の気持ちというものが、やはり和紙は相手に伝わりやすいと思います。そして、榛原さんが紙を大切にする心を非常に感じたのは、この建物が北向きに建てられていて、それは紙の日焼けを防ぐためだというお言葉でした。
星野 太陽の光というのはとてもありがたいんです。ですが、ずっと日があたっていると品物が痛みますでしょう。紙屋に限らず、呉服屋さんもそうだと思います。
日本橋 街大學 講師 堀 紋子さん 北欧ジャーナリスト&コーディネーター
素晴らしいですね。作り手の思いが売り手に伝わって、売り手が皆さんに買っていただき、そこで作り手の思いが買い手にも伝わる。そうした作り手と買い手のつながりというのが、とても大切なことなんですね。今の日本は物が溢れていて、きちんとしたものを選んでいかなければ、大切なものが次の世代に継承されていかないんだと実感します。
星野 和紙という文化を継承するには、本当に先人の大変な苦労があったと思います。もともと紙は中国で作られたものですが、和紙はまさに日本でこれだけのものに作り上げられたのです。やはり和紙の文化を残していかなければ、先人に申し訳ないという思いはありますね。
それは私たち使い手も、大切にしていかなければいけないことです。
星野 なんといっても、まだ紙を漉いてくださる方がいらっしゃって、しかも、若い人たちでもそれをやってくれている人がいますから。まだまだ捨てたもんじゃないと思います。
仕事はいかにお客様を喜ばせるかに尽きる
すべての便箋に、書くときに適切なペンがちゃんと記載されているのは、紙によって筆記用具との相性があるからなんですね。
星野 そうですね。これなどは、平らな紙の上にミツマタの繊維を散らした2層構造になっています。2枚が合わさっておりまして、例えばこれを万年筆でお書きになるということになると少し滲みますでしょう。ボールペンなら大丈夫なんです。
昔ながらの和紙は、筆と相性がいいわけですか。
星野 和紙を拡大鏡で見ますと、ざるみたいにとても荒い繊維が絡んでいるだけなんですが、墨は水で炭素の粉を紙に貼りつけるときに、「にかわ」というものが滲みを防ぐ役目になっています。
そうなんですね。和紙にはものを書くだけではなく、「包む」という文化もありますね。
星野 「たとう」と言って、筒状に丸めて上下を折るだけで、封筒の役目をする紙もありますね。我々日本人は、きっと大切なものを包むことで安心できるんです。
そうですね。先日こちらにお伺いしたんですが、製品の一つひとつが美しくて、本当に大切にしたいと思いました。そうした和紙を拝見したら、いろいろな画家の方とのコラボレーションもされてきているんですね。
星野 私がここの店に勤め始めたころも、まだ専属の日本画の絵描きさんがいたんですよ。それは、昔の絵描きさんと言っても、絵だけで食べていけるわけじゃないんです。ようするに、オーナーにはそういうまだ無名の絵描きさんを助けるという役目もあったんですよ。
だから、本当に名だたる方たちのものがこうやって残っているのですね。そうしたものが大切に保管されている「聚玉文庫」にも感動しました。
星野 肉筆画や摺り物、画稿、版木、千代紙、彫刻などの美術工芸品、明治大正期を中心とする歴史的な資料などを保管していますね。
素晴らしいです。それでは最後に、ビジネスの先輩として、日本橋で働く方たちに仕事の教訓というものをお聞きできますか。
星野 それはまさに、この街が今まで生きたまま残ってきて、これからもずっと続けるためには、いかにお客様を満足させるかっていうことなんじゃないんでしょうかね。そして、店としても、先人のオーナーがいろいろな新しいものを試みて成功してきたわけですが、そういう精神もとても大切なんじゃないでしょうか。いかにお客様を喜ばせるかということに尽きるような気がしますし、日本橋全体にも、その気風があると思います。
まさしく、今おっしゃったように、この生まれ変わりつつある日本橋への期待というのはそういったところでしょうか。
星野 この町のかけがえのなさは、他の街にはないものでしょうね。他から持ってくることができない歴史そのものですね。
次の世代を担う私たちとしても、こういう文化をきちんと伝えていきたいと実感しました。ありがとうございました。
榛原 星野総支配人の仕事の教訓 お客様に満足を提供する
榛原

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