2015年5月号 Vol.08
日本橋は祭りの季節
祭りの季節になると、さまざまな半纏を見かけます。日本橋の店や会社、町内会などで代々伝わる独自の半纏、そのほんのひと握りをご紹介。

日本橋本町一丁目会〈町会半纏〉
日本橋本町一丁目会と同じ模様の半纏ですが、後ろに各家の家紋が入っています。同じ半纏に見えますが、後ろ姿にご注目を。
割烹とよだ
店名の“登与多”を変体仮名に崩した紋。周りの糸輪の線が細く、粋とされています。腰部分は、移転前の地である本石町の文字になっています。

清水建設株式会社
創業者清水喜助にちなんだ“丸喜”マーク。1903(明治36)年の創業100年の際には、丸喜を染め出した印半纏を職人の親方に配ったそうです。
諏訪神社(群馬県藤岡市)
2006年までは白装束でしたが、2012年から新たに半纏を制作。後ろに「諏訪」の名が、襟に社紋が入っています。神輿が1780年につくられたことから、江戸時代の代表的な色のひとつ御納戸色(おなんどいろ)で染め上げたものです。

江戸時代に三井越後屋(現・三越)から奉納された宮神輿が、前回に続いて今年も神田祭に参加しました。

日本橋本町一丁目会〈貸し半纏〉
創業者清水喜助にちなんだ“丸喜”マーク。1903(明治36)年の創業100年の際には、丸喜を染め出した印半纏を職人の親方に配ったそうです。
日本橋三越本店
1904(明治37)年、株式会社三越呉服店設立時に、店章に改められた。越の筆文字の当たり所と跳ね先が七五三になるように描かれた縁起の良いこのマークが、鮮やかに染められています。

江戸から続く“お仕着せ”

江戸研究家 菊地ひと美

江戸日本橋の目抜き通りは大店(おおだな)がずらりと並ぶ所です。大小に関わらず江戸の商家は夏と冬の年二回、奉公人達へ“お仕着せ”である着物や半纏を支給していました。十歳頃から入店して働き始める丁稚(でっち)は無給のため、彼等にとってこれは給料の代わりでもあります。この着物は藍染めの木綿の縞物(しまもの)が一般的。そして大店では自家の奉公人や、職人・鳶(とび)など出入りの衆にはお仕着せである“印半纏”を盆暮れに配りました。これは紺染めで、背中に大きな屋号を白抜きにした上着です。
また天下祭りとして名高い神田祭には、山車(だし)や踊り屋台が日本橋界隈をも練り歩き、派手な祭り衣装に着飾った人々や商家の店先に陣取る見物衆で賑わいました。

山本海苔店

正しい着方で祭り文化を継承
折笠 喜代美さん
私自身、神田祭には昭和60年代から欠かさず参加しています。今は、メインの担ぎ手である若手社員に、祭りの規則を伝授しています。店の半纏を着ることは、山本の看板を背負うことと同じ。正しい着方、きれいな担ぎ方を教えて、江戸時代から続く祭りの文化を引き継いでいければと思います。
  • “まるうめ”をまとうからには、正しく美しくが大切。帯は腰の位置でしっかり締めて、髪は後ろの担ぎ手に当たらないように高く結い上げます。

つくり手が感じる半纏の粋

濱町高虎 髙林 晋さん

半纏は、しわを寄せずに着るのがいい。長さもちょうどが基本です。その意味でも、理想としては自分の半纏をあつらえることです。また、よく色落ちしている半纏を見かけますが、正しい手入れをすることで防ぐことができます。神田祭のときは、浜町周辺もとても盛り上がります。ぜひ遊びに来てください。

  • 濱町高虎

    後ろに「濱町」、表に「高虎」の文字。仕事のときに着用されています。どんなときでも、しわなく着るのがこだわりだそうです。

濱町高虎(はまちょうたかとら)

中央区日本橋浜町2-45-6
☎ 03-3666-5562
平日/9:00~18:00
土/9:00~17:00 日・祝休み

MAP

髙林さん直伝! これが粋な着方

日本橋五の部連合町会
腰部分の柄は職業などを表すもの。この柄は、廓繋(くるわつな)ぎという元吉原で使われた模様。

三井不動産株式会社
濃紺の地に、三井グループのシンボルマーク“丸に井桁三”を染め抜いています。半纏のほかに、ダボシャツ、股引きも揃いのものを着用します。
室町一丁目会
ベンガラ茶(赤茶)の地に、魚河岸水神社御神紋を袖抜きにし、大紋には「室壹」が染め抜かれています。日本橋橋洗いなど街の行事でも着用されています。

お祭りの日はお弁当
ニホンバシーモ 2015年5月号 Vol.08