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日本橋三越本店「写真展 オードリー・ヘプバーン」開催(2018年1月10日~22日)に寄せて/作家・山口路子さんが語るオードリーが写真を通して伝えること
日本橋三越本店で「写真展 オードリー・ヘプバーン」(2018年1月10日~22日)が開催されます。そこで「オードリー・ヘプバーンの生き方」をはじめ、世界に大きな影響をおよぼした女性著名人の生き方シリーズを執筆している作家・山口路子さんにニホンバシーモが独占インタビューを行いました。山口さんが語る、オードリーならではの魅力とは―。
両親の離婚、戦争、飢え 苦しかった、若きオードリー

今回の写真展は、オードリー・ヘプバーンの若さあふれる時代を写した作品が中心です。きっと、目を見張るほどのかわいらしさに、誰もが陶酔することでしょう。けれど、写真を見て「オードリーってかわいい」、それだけで終わってしまったら、少し残念に思います。オードリーがどんな女性だったのか、晩年彼女が見つけ出した自らの存在意義に想いを馳せると、写真を通じてより深くあなたの心にオードリーの想いが届くことでしょう。

オードリーが、美しく天真爛漫な姿でセンセーショナルな世界デビューを果たしたのは、映画「ローマの休日」の出演がきっかけでした。その後、「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」など、数々の名作に出演し、いずれも大ヒットを記録。20世紀を代表する大女優への階段を駆け上がりました。

女優として輝かしい成功をおさめたオードリーですが、実はそれまでは苦労の連続でした。オードリーの両親は、オードリーが幼いころに離婚。兄弟とともに母に引き取られたオードリーは、第二次世界大戦戦火を逃れるために英国からオランダへ移り住みました。しかし、オランダでは戦況が悪化するにつれて飢えに苦しむ人が続出。オードリーも食べる物に困窮し、命の危険が迫るほどでした。そのときの体験が、オードリーのまるで大女優とは思えないような謙虚さと寛容さをつくり出したのです。

命をかけたユニセフ活動 華々しい人生の集大成へ

また、プライベートでは2度の離婚を経験します。両親が離婚していただけに、自身は堅実な家庭を築きたがっていたオードリーですが、残念ながら想いは叶わず、彼女の結婚生活は2回とも破綻。しかし、心優しく真面目なオードリーは、傷つきながらも決して愛をあきらめませんでした。そして51歳のときに、ついに最愛の男性とめぐり会います。オランダ人俳優のロバート・ウォルダースでした。

ロバートと出会ってから数年後、オードリーはユニセフ親善大使としての活動を開始。エチオピアを皮切りに、トルコや南米諸国などの訪問で、飢餓や貧困で厳しい毎日を過ごす人々を目にしたオードリーは、次第にユニセフの活動こそが自分の使命だと感じるようになります。あるインタビューで彼女は

「私が女優として成功した理由がやっとわかりました。この知名度を使って、ユニセフの活動を世界中に広めるためです」と言ったそうです。飢餓や貧困に直面している人々のためのユニセフの活動は、オードリーの華々しい人生と引き換えに、彼女に生きがいをもたらしたのです。

ユニセフの活動に専念するようになったオードリーは、公私ともにオードリーファッションの代名詞であったジバンシィのドレスではなく、カジュアルなシャツやジーンズを身に付けて世界中を飛び回りました。さらに、嫌いだったインタビューや記者会見も積極的に受けて、世界の困っている人たちの現状を広めたのです。

オードリーが、末期がんに侵されていると知ったのは、ユニセフの活動で訪れていたソマリアからスイスの自宅へ戻ったときでした。延命治療を拒否し、自然のプロセスに身を任せて、最期は愛する人々に見守られながら静かに息を引き取りました。

オードリーがユニセフで活動したのは、わずか5年ほどでした。彼女は私たちに、「大事なのは期間ではなく、どれほど想いを込めて打ち込めるか。それが生きる価値につながるのだ」と身をもって教えてくれました。

オードリーの若かりし頃の写真を見るとき、彼女がいかに美しかったか、というだけではなく、ぜひ彼女が最期命がけで取り組んだユニセフの活動についても興味を持っていただけたらと思います。それが、オードリーの願いなのだと思います。

「写真展 オードリー・ヘプバーン」

【会場】2018年1月10日(水)~22日(月) 【会期】日本橋三越本店 新館7階催物会場

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  • 山口路子

    やまぐちみちこ作家。核となるテーマは「ミューズ」「言葉との出会い」「絵画との個人的な関係」。主な著書に、「オードリー・ヘップバーンという生き方」をはじめとする「生き方シリーズ」。そのほか「オードリー・ヘップバーンの言葉」など著書多数。山口路子Worldへは、こちらから。